谷本盛雄大阪ビル放火事件

谷本盛雄家族「妻息子とは偽りのつながり」長男刺傷事件で明らかに

谷本盛雄大阪ビル放火事件

25人の命を奪った大阪市北区の雑居ビル放火事件。犯人の谷本盛雄の情報が毎日明らかになっています。

この記事は、谷本盛雄の「家族」に関する情報を詳しくまとめています。谷本盛雄の家族の「元妻」「長男」「次男」のこと、谷本盛雄と家族とのつながり、長男殺人未遂事件の犯行とその動機がわかります。

12月27日、2ヵ所追記しました。谷本盛雄は西淀川区のマイホームでは近所づきあいがありませんでした。 谷本盛雄は2006年に戸建て住宅からマンションに引っ越しています。

>谷本盛雄大阪ビル放火事件のまとめ

>谷本盛雄動機「今度こそ死にたかった」

谷本盛雄家族、妻と結婚「2人の息子とマイホーム」

谷本盛雄の家族は妻と2人息子の4人家族と報道されています。

谷本盛雄と家族に関する略歴をまとめると次の通りです。

  • 1960年3月28日:谷本盛雄、大阪市此花区で生まれ育つ
  • (18歳~19歳頃):母なくなる
  • 1987年4月(27歳):大阪市西淀川区にマイホーム(戸建て住宅)購入
  • 1990年11月(30歳):父なくなる
  • 2006年(46歳):戸建て住宅からマンションに引っ越し
  • 家族3人と離れ、谷本1人別居か
  • 2008年9月(48歳):妻と離婚
  • 2009年9月(49歳):元妻に復縁を申込むも断られる
  • 2011年4月(51歳):長男を包丁で刺し、殺人未遂で逮捕
  • 実刑4年の判決
  • 2021年12月17日(61歳):大阪市北区の雑居ビルに放火

看護師の妻とは、谷本盛雄がケガで入院していた時に知り合い、その後2人は結婚しました。

文春によると1987年4月に、谷本盛雄は大阪市西淀川区に3階建てのマイホーム(戸建て住宅)を購入しています。

27歳の頃、一国一城の主となる。87年4月、約1200万円のローンで西淀川区内に3階建ての新築を購入したのだ。床面積60平米の家で暮らす家族4人は、周囲には幸せな家族像に映った。

【追記】谷本盛雄家族、近所づきあいはなし「趣味は詩吟か」

12月27日追記

谷本盛雄の西淀川区の自宅に家族4人で暮らしていた時の様子が、週刊女性PRIMEに掲載されました。近所の人の話では「近所づきあいはまったくしない家」

当時から近所づきあいをまったくしない家でね。容疑者はスラッと背が高くて、おとなしい感じの人でした。酒に酔っている姿や、おかしな行動はいっさい見たことはなく、近所とのトラブルもなかったですよ

上とは別の近所の人の話では、谷本盛雄は「詩吟の教室に通っていた」とのことです。

“詩吟の教室に通っている”と聞いた。若いのに珍しい人がおるな、静かな人やなと思うた

谷本盛雄家族、妻と離婚「相続でもめ、家で暴れるように」

谷本盛雄が30歳、1990年11月に父親がなくなっています。

文春の兄の話では父親の死後、谷本盛雄と兄弟の間で遺産の相続をめぐり「ハンコを押す押さない」でもめていたようです。

財産分与したのは、親の文化(住宅)。それを弟が『くれ』言ったんや。なんでかいうと、その家賃収入が7万か8万あんねん。『ほんなら判子押すんやったらやる』言うたんやけど、結局、弟は大事な判子は押さへんかった

兄の話では、谷本盛雄はそのころから家で酒を飲んでは、妻と喧嘩して暴れるようになったとのことです。

父の死後、谷本は酒が入ると鬱憤の捌け口を家庭内、とりわけ妻に向けるようになっていった。長兄はある光景を鮮明に覚えている。

「盛雄が夜中に酒を飲んで嫁さんと喧嘩して暴れた。それで嫁さんから『喧嘩してるから来てくれー』と電話があった」

家に行き、仲裁に入ったところ、妻から「お前の教育が悪い」と泣きながら言われたのだという。同様の喧嘩は、しばしば起こった。

そして2008年9月、谷本盛雄と妻は離婚。そのころ、谷本盛雄の飲酒が原因で妻とのトラブルが頻発していたとのことです。

谷本盛雄は妻と2人の息子と別れ、一人暮らしを始めます。

【追記】谷本盛雄家族、戸建てからマンションに引っ越し「離婚前に別居か」

12月27日追記

週刊女性PRIMEによると、15年ほど前(2006年?)、谷本盛雄と妻、息子2人の家族は西淀川区の戸建てからマンションに、なんらかの理由があって引っ越しています。

15年ほど前、容疑者一家は1.5キロメートルほど離れたマンションに引っ越したという

そして、マンションの住民の話では「いつのまにか谷本盛雄はいなくなったとも」

いつの間にか旦那さん(容疑者)がいなくなって、奥さんとお子さん2人になっていたんです

谷本盛雄と妻息子とは離婚の前に別居していたのでしょうか。谷本盛雄はマンションを離れどこに住んでいたのでしょうか。

引っ越しの2年後の2008年9月に、谷本盛雄は妻と離婚しています。

大阪ビル放火事件の概要

大阪市のクリニックで25人が死亡した放火殺人事件が発生してから、1週間がたちました。

凄惨な事件の犯行動機につながるトラブルは、いまだにわかっていません。

事件の発生から1週間がたったが、現場には、24日も花を手向ける人があとを絶たない。

クリニックの患者「本当は、すぐに献花にも来たかったんですけど、来ようとすると怖くて、自分が壊れてしまうっていう感覚にずっとなっていたので、1週間たってようやく前に進もうと」

12月17日、大阪・北新地の心療内科クリニックで起きた放火殺人事件では、25人が死亡し、警察は重篤な状態となっている谷本盛雄容疑者(61)による犯行と特定し、調べている。

クリニックの防犯カメラには、谷本容疑者が、ガソリンとみられる液体にライターで火をつけたあと、脱出しようとする人に体当たりする様子が映っていた。

警察によると、谷本容疑者とクリニックの間に、犯行の動機につながるような具体的なトラブルは確認されていない。

献花に訪れたクリニックの患者の中には、「容疑者には目を覚まして現実に向き合ってほしい」と話す人がいた。

しかし谷本容疑者は、重篤な状態が続いていて、事件の真相解明には時間がかかるとみられる。

FNNプライムオンライン

谷本盛雄家族、離婚後も続いていた妻息子とのつながり「長男を刺して一人ぼっちに」

谷本盛雄と元妻と2人の息子とのつながりは完全になくなったわけではなく、離婚後も続いていました。

離婚の1年後の2009年9月、谷本盛雄は元妻に復縁を申込みましたが、断られています。

谷本盛雄は「元妻に未練」があったと、その当時働いていた板金工場の社長が話しています。

奥さんへの未練があって『復縁の話はしたけど、受け付けてくれなかった』と悩んでいたんや。

離婚から2年半ちかく過ぎた2011年4月、谷本盛雄が長男を包丁で刺す事件が起こります。

事件の経過からは、谷本盛雄と妻息子は近くに住んでいて、家族としてのつながりがあったことがうかがえます。

文春や新潮をもとに事件の流れを整理すると次のとおりです。

長男に誘われ、元妻、次男と4人で映画鑑賞

谷本は「家から寿司をもってくる」と自宅に戻る

翌日深夜1時に元妻の自宅に向かう(文化包丁と出刃包丁、スタンガン、催涙スプレー、ハンマーをバッグにつめて)

元妻の自宅で寿司を食べる

長男と近所の居酒屋で朝方まで飲酒

元妻の自宅に戻る

朝6時過ぎ、見送りに来た長男の頭に出刃包丁を振り下ろす

長男抵抗、谷本は玄関の外に押し出される

谷本は殺害をあきらめて自転車で逃走

通報から1時間半後に殺人未遂容疑で谷本を逮捕

谷本盛雄と妻息子は4人で映画を見に行ったり、谷本盛雄が妻息子の家に行って食事をとったり、息子と酒を飲んだりしていました。もとの4人家族に戻り、楽しく過ごしていた時もあったようです。

しかし、その家族のつながりが「偽りのつながり」であることが、谷本盛雄の犯行とその動機から明らかになりました。

新潮では、事件の捜査に関わった関係者が谷本盛雄の犯行動機について話しています。

谷本は家族と離れて一人で暮らすうちに、寂しさを募らせて自殺を考えるようになりますが、死ぬのが怖く、だれかを殺せば死ねると考えた。そして、長男を殺そう、元妻や次男も道連れにしよう、などと考えはじめたそうです。

谷本盛雄は自分の寂しさを解消するために、一家心中をくわだてていたのです。

谷本盛雄は長男の頭に出刃包丁を振り下ろし、ケガを負わせて逮捕されました。幸い、長男は2週間程度のケガですみました。そしてその年の12月、谷本盛雄に「殺人未遂」と「銃刀法違反」の罪で、「懲役4年」の判決が下っています。

谷本盛雄は4人家族のつながりを自分勝手な動機からみずから断って、また一人ぼっちになったのです。

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